【宙に浮かぶ文字】挨拶をしない人に挨拶をした後の行き場のない自分の気持ちについて考えた話

数年前「挨拶をしない自由」という言葉が話題になった。
ふむふむ…そういう考え方もあるんだな…
私が知らなかった分野だから興味深いな…私は同じ考えではないけど。
という感じで眺めていたのを覚えている。
私は、挨拶をしない人に無理に挨拶をさせようとは思わないし、思ったことがない。
こちらからは分からない事情があるかもしれないから。
(私は挨拶するけどね)
ただ、最近「これはなかなか自分の気持ちの鍛錬が必要な瞬間だな」と思ったのは、
【挨拶をしない人に挨拶をして、挨拶が返ってこなかった時の行き場のない自分の気持ち】である。
人違いで声をかけてしまったなら、電話しているふりをするなどやりようがあるのだが、
挨拶の場合はだいたいその場に一対一だし、明らかにその当事者に言っているという状況なので、
まるで、ドラえもんのひみつ道具・コエカタマリンを飲んで出てきた「宙に浮かぶコトバ」のように、
私の「オハヨウゴザイマス!」や「コンニチハ!」がそこにあるだけなのだ。
私の顔には挨拶をした時のままの中途半端な笑顔が残り、耳に聞こえるのは街なかの日常の音のみ。
そして、その場に浮かぶだけの私のアイサツ。申し訳ないが、ただ浮かばせておくことしかできない。
これはかなり自分の気持ちの鍛錬が必要な瞬間だと言えるだろう。
挨拶自体が基本善意をもって行われるものなので、余計に鍛錬を必要とする。
では、どうするか?
【そちらを見て挨拶をして、返事がなければ秒で自分の世界に戻る】これが一番良いんじゃないかなと私は思う。
宙に浮かぶ私のアイサツがこちらの世界に落っこちてきたらそのまま置いておく、みたいな感覚だ。
何とも言葉で言い表せない気持ちが心の中に少し残るが、それも鍛錬である。
会釈だけはする、くらいの気持ちならもう少し楽かもしれない。
挨拶をあまりしない人は、他の人の方を向かない・見ないことが多いので、
宙に浮かぶ私の挨拶コエカタマリン文字に、そもそも気づいていないかもしれない。
それでも、「オハヨウゴザイマス!」は発信していこうかなと思う。
余程特殊な状況でない限り、挨拶をして悪い状況になるってあまりないしね。
…こんな感じの気持ちの持ち方で良いよね?
いつも元気に「こんにちは!ぼくドラえもんです!」って挨拶してくれるドラえもん?




