【スマホ1日2時間まで】「制限」よりも「By the way」方式は?豊明市の条例に思うこと

愛知県豊明市で可決された「スマホの使用は1日2時間まで」という条例のニュースを見た。
ざっくり言うと「勉強や家事・仕事以外のスマホ使用は1日2時間以内を目安にしましょうね、罰則はないよ、でも理念的な条例だから目指してほしいな」というものだ。
結論から言うと、私はこの条例に反対…というか、あまり意味がないと思っている。
「じゃあ条例で決まってるからそろそろスマホの時間おしまいねー」
「はーい!!」となるか?多くの家庭ではならないだろう。
…ということである(なる家庭もあるかもしれないので先に謝罪しておく🙇♀️)
また、自分が社会人バリバリで外で働いていた頃にあてはめてみると、
っはー帰宅!金曜日終わった!やっと1週間終わった!観たかったNetflix映画『アイリッシュマン(3時間29分)』週末なら観られるな。
ん?なになに?勉強や家事・仕事以外のスマホ使用は1日2時間以内を目安?
ほー…ふーん…人生にはエンターテインメントの余暇も大事だよね…?
じゃあ2時間以内でおさまる映画に変えれば、条例的にOKなのか? そういうことじゃないよね?
NetflixのスマホアプリからTVに飛ばしてTVで観れば、条例的にOKなのか? そういうことじゃないよね?
ということは、スマホの利用時間のみで括ったり条例でおすすめしたりしても、あまり意味がないよね。
こう感じるのだ。
そもそも「エンターテインメント性」のあるものに制限をかけること自体が逆効果だとも思っている。
別の方向で(悪い方向を含む)反動が来る場合があるからだ。
特に、子どものころ悪い影響があるからと制限されていて、それを「常識的な塩梅で使う練習をする機会」がないまま大人になった時に=金銭で自力でなんとかできる歳になった時に、リミッターがすごい方向へ解除されてしまうパターンだ。
これを防ぐには、自治体の条例ではなく、なるべく早い段階からの周りの大人の理解と助言が必要だと私は思う。
本当に問題なのは、通信手段からエンターテインメントまで幅広く「役に立つスマホ」を
常識的な範囲を超えて過度に使ったり・過度に信じ込んだり・過度にのめり込んだり・スマホの向こうにいる知らない人を過度に頼ったり…こういうtoo muchな行動だと思っている。
ここを分けずに「スマホの利用を…」と大きい括りで話を進めることに違和感を感じるのだ。
では、どうするか?
私の中で「禁止」「制限」「利用不可」のような強制力のある言葉は、
「高波のため遊泳禁止」「落下の危険があるため身長制限あり」「設備不具合のため点検中利用不可」など、
明らかに身体に直接的な危険が及ぶものに使う言葉というイメージがある。
そこで思いついたのが「By the way」という言葉だ。
ずーっとスマホ見てるのも面白いよね。分かる!ついつい見ちゃう。
ところで世の中にはこういう面白いものも他にあるんだけどこれはどう?という感じ。
「走らない!」じゃなくて、「ここは歩こうね=歩くという手段もあるよ」もありだし、
「ゲームばっかやらない!」じゃなくて、「あなたが好きなゲームの屋外イベントがあるっぽいよ=好きな分野のことで久々に外出できる機会があるよ」もありだし、
なんなら自分自身が何かに打ち込んで、(SNSも見まくるのも面白いけど…なんか大人が楽しそうになんかやってるな…ところでうちの親は急に何にハマりだしたんだろう?)と思われるのもありだし、
他の楽しいことを提案できる機会があれば、制限や禁止よりもそっちのほうがいいのになと思ったわけだ。
ちなみに今日の私のスマホ利用時間は6時間51分だった。
おっ…多い…多すぎる…!自分でもびっくりした。
「最近なかなか寝付けないので、寝る前に安眠BGMをYouTubeで…」とか
「料理が好きだけど得意じゃないから、毎回ChatGPTに相談してて…」とか一応言い訳はしてみるが、
正直に言おう。ゲーム(原神)とアニメ鑑賞(ブスに花束を。)にどっぷりだったのだ。
でも、心は満たされていて、健康である。
要は「塩梅」なのだと思う。


